妻沼線 (東武熊谷線)                           てつどうしゅみ  HOME(別窓表示)

1983(昭和58)年5月31日に運行終了となった路線。
詳しい歴史だとか廃線跡の詳しい状況はWikipediaとかぐぐったりしてみて下さい。

思い出したように(爆)廃止間近に訪れた際の写真を引っ張り出してみた。あわせて、現況取材した画像も貼ってみる。
推定原因は下の方に記載。

昔=1983(昭和58).5.23。間違いようもなく日曜日。
今=2009(平成21).8.25。

なお、当時の諸都合により途中乗降しなかったので、熊谷・妻沼駅での写真しかありません。

熊谷駅に到着。
ホームをはじめ、車内も最前部の超特等席から最後部まで人でいっぱい。

以下しばらく妻沼駅


初夏らしい好天に恵まれ、窓も全開。
来訪者は多いものの、まだ余裕だったのか、いろいろ大らかだったのか、構内の立ち入り規制がかなり緩め。


↑昔、↓今、という感じで比較撮影。廃線跡は市道などとして整備されている。


発車まで余裕がある停車中、というワケで、こんな位置でも撮り放題状態。
今じゃ、余裕があってもこんなことはムリだな。


↑昔、↓今。下写真、右側の盛土部分がホーム跡らしい。


盛土部分をやや横から見る。


↑昔、↓今。列車は安全に出発しました。下写真、高い木立は当時の名残か?(上で列車が差し掛かっているあたりか。)


レールに耳を当て、レールの響きを聞く…なんて少年、今どきなんているのかな。


↑昔、↓今。車庫〜見果てぬ夢だった西小泉方面を望む。下写真、左の草地の手前に駅舎、奥に車庫があった。


↑昔、↓今。駅舎。下写真、左の草地あたりに駅舎があったと思われる。


数年前まで、この草地の角付近に、改札口前にあった安全塔とシュロの木が残存していたとのこと()。
上の駅舎写真との画角を合わせるとすれば、もう少し車道寄りからの撮影になるかと思われる。
残存イメージ。


丸ポストもさることながら、黄色の公衆電話も、もはや懐かしいものに。
東武鉄道バスは熊谷駅と、籠原への路線もあった模様。

駅名標。

熊谷駅


↑昔、↓今。半室運転台なので、初めの方に書いたとおり右前部は子供大喜びの超特等席。


←昔、今→。熊谷駅へは秩父鉄道のホームの一隅(現在の5番線の上熊谷寄り)を間借りする状態で乗り入れていた。
上屋の躯体とか、この番線標の箱などは当時のままのようだ。
昔の写真の方に僅かながら当時の秩父鉄道車(左が100形、右が800形と思われる)が写りこんでます。

その他もろもろ

車体側面。行先表示板、車側灯。
横の仕切りが低いので、運転士のすぐ脇まで乗客が。
左側の少年はラジカセ持参で生録に挑戦中の模様。
といいつつ、こっちの人も、しょぼい小型カセットレコーダーで挑戦したのだが…ただの雑音で終わったなぁ(爆)。
運転台。


乗車券・熊谷から東武線130円区間(小)/入場券・妻沼駅
熊谷駅は秩父鉄道委託だったので「○秩」表記。
ちなみに、この乗車券は自分が使用したものではなく(当時中3)、
無効の着札をタダで配っていたものをもらってきた。



廃止記念乗車券。


記念スタンプ。どうしたものか、持ってったのは普通のノート。…せめて自由帳にしようよ(爆)。

当時の時刻表。
熊谷   妻沼
533 515
535 552
613 555
615 632
654 636
656 713
734 716
751 808
829 811
842 859
930 912
940 957
1018 1000
1023 1040
1132 1114
1138 1155
1249 1231
1258 1315
1338 1320
1345 1402
1428 1410
1436 1453
1534 1516
1545 1602
1630 1612
1650 1707
1732 1714
1742 1759
1821 1803
1840 1857
1919 1901
1925 1942
2008 1950
2018 2035
2059 2041
2105 2122

控えてきたメモを清書した
ものが奇跡的に(爆)残って
いた。

思い出したように昔の写真類を引っ張り出したうえ、現況取材までしてきたのは…トミーテックに火を付けられたから(核爆)。
2009年7月に発売された鉄道コレクション第10弾に東武キハ2000形がラインナップ。
これは何としてでもゲットせねば!というワケで、必死になって(爆)ゲット。

実車は妻沼で保存されているとのことで、見に行って…

当然(爆)、持参して実車の前で記念撮影してみたり。
廃線跡に合わせてみたり(爆)。

(C)2009 autumnleaf/おーたむりーふ